サンリオ男子に寄せて

勢いで書いた文章なので表現が乏しいところもありますがお付き合い頂けると幸いです。


平成最後の12月、私は平成のエンターテイメントを目の当たりにしている。
ラクル☆ステージ サンリオ男子、個人的雑感、私なりの感想を記す。

これを書いている今、もう公演期間の半分過ぎたところである。念のため明らかなネタバレは控えようという意思はあるが、もうあまり意味がないかもしれない。千秋楽を前に振り返る。

まず、この舞台はちゃめちゃに楽しい。もともと公演の半分くらいは行く予定でチケットを確保していたが、あまりの楽しさにリピーターチケットを買い増しした。都合上全通はできなかったが、平日も会社を定時退社し天王洲アイル駅へ向かっている。この上なく充実した日々を過ごしている。

初めに私は恐れていた。どのような公演になるのか。サンリオ男子、アニメの視聴していたのだがそれとは違う話だということ。そして公演前に定期的に開催されるピューロその他でのイベント、正直本当によく分からなかった(当時私はまだ地方に住んでいたので推しはいたのにイベントには泣く泣く不参加だった。)
何のためのイベントなのか?舞台のストーリーとの関連性はあるのか?推しは過剰営業をさせられているんじゃないか?
1回くらいイベントに参加していたらそのような不安は抱かなかったであろう。不満に思っている訳ではなく、これは自分の甲斐性の問題であるのでこれ以上は割愛。本音を言うなら行きたかった。だが今となってはどうでもいい。


キャストの言葉にもあったように本作品はコメディ劇であり、そのほとんどが笑いに走っている。度肝を抜かれた。アドリブや日替わりシーンで笑いをとる舞台は数々あるが、最初から思いっきり笑わせてくる。
キャストたちはわざとらしい演技ではなくいかにも素のような、これこそ等身大の高校生のような純粋な素振りで台詞を放ち、動く。これがとても自然体な演技だった。無理してるような、いやな感じがしない。使い古されたような、よく見るようなオーバーなアクションでも新鮮に感じて、更なる笑いを誘う。私も自然に笑っていた。この時点でかなり楽しかった。

制服姿がまぶしくさわやかだった。関東組には初舞台を踏むキャストがいるなんて分からないほどに粗は見られなかった。彼らは日常の中で等身大の高校生らしい悩みを抱えたり友人と好きなことをし話しアルバイトに勤しみ過ごしている。外からそれを見る私達にとってそれが何よりものキラキラである。

今回の舞台で初登場の関西組。何もかもが未知数。そんな彼らはは思い切り関西のお笑いだった。新喜劇を見ているような、計算された間合いとボケと突っ込み。すべてを忘れるくらいに笑った。キャラクターが濃すぎる。
彼らはまず客席から登場し、1曲を使って客席通路を回り客を盛り上げながらからステージに上がる。ばっちりな紹介。彼らは役に入り込んでいるし意外に振り付けが丁寧だった。私はこの曲を聞いて無性に粉物が食べたくなった。(この日から数日間、コンビニの冷食たこ焼きが夜食となった。)
「どんなキャラなのか分からない」を逆手に取った憎い演出だと思った(大正解)。調子の良い関西弁が心地よい。彼らはピューロに想いを馳せ恋い焦がれ新幹線に揺られていたかを考えると、共感を覚え胸が熱くなる。

オープニングとエンディングで登場するゲストキャラクター、非常にテンションが上がる。心が純真な幼女に戻る。キャラクターの登場が発表されたとき、そこはかとない不安も多少感じたが、楽しみな要素の一つでもあった。私はいい歳してキャラ物全般的に好きだが、普段の生活でそういう面を出せるわけでもないので、動くキャラクターを見て歓声を上げることのできるこの瞬間が大変貴重な機会であった。キティちゃんもメロちゃんもプリンくんもプロの舞台人(?)である。見せ方を分かっている。アクションがかわいい。キャストとの絡みもありがたく見させていただいている。ハグしたり手をつないだり一緒に振り付けをして歌って、これぞ眼福。ここはピューロランド、憧れの聖地。
私は銀河劇場のことを海沿いのピューロと呼ぶようになった。


ほぼ毎日観劇していたからか、 日々発見の連続で、アクションを変えたりキャストそれぞれアドリブを入れたり台詞がないところでも細かくキャラを演じており見事だった。全力のお芝居に引き込まれ胸を打たれ、今後の彼らのことを応援したくなった。
またとてもよくできた脚本と演出だと思った。幾分の不自然を感じさせず、客を満足させていた。その他作品での狙った「笑い」はどこか違和感を覚え、上演中に冷静になってしまう自分もいた。「非現実の世界」は誰かの手によって作られたものである。それを客はきちんと心のどこかで理解している。その理解が心の主だったところにあることを感じながら非現実にいると、違和感を覚えるのである。自分の以外の周りすべてが作り物に見えて。だから楽しめないのであると私は思う。少なくとも私にとっては、この作品ではそういうことを一切感じることがなかった。
私は定時で退社後に海沿いのピューロに通っていたのだが、上演中まったくといっていいほど眠気を感じなかった。正直、今まで観劇した舞台のうち睡魔に負けてしまうこともなかったとらいえない。体力の問題なのか環境なのか(上演中、劇場内は酸素濃度が低くなるため酸欠状態になることにとにより軽く意識を失うらしいとのこと。)その気がなくても意識が飛ぶことがあり、罪悪感に襲われることがしばしばあった。
本作品はさほど気難しくない内容、こちらの理解度を試されない。頭を使わずに楽しめる。ぜんぜん疲れないのだ。でも、健康的におなかがすく。

本作品、私のかわいい推しの初座長公演ということで私はかなり張り切っていた。私は秋に転職し上京したのだが、転職活動を始めた理由は違うとしても、上京のタイミングは本作品の公演期間との兼ね合いも考慮したものだと今はっきりといおう。私はサンリオ男子に通うために上京してきたのだ。我ながら不順な動機だと思うがこんなに好条件がそろっていたチャンスを自ら逃すことほど愚かなことはない。神の手に導かれるように私は素晴らしい作品に出会ってしまった。

私は現実世界に存在する「非現実の世界」が大好きだ。ライブ、コンサート、舞台。非現実の世界は誰かの手によって作られている。非現実には自ら足を踏み入れないとそれを体感できない。その時間は永遠ではなくて、その空間が儚くて尊くて愛しい。誰かの手によってつくられたものが私の心を動かす。その瞬間と余韻が大好きだ。
それを楽しむ者(いわゆるオタク)は興味のない人間からすれば滑稽だと笑われもするし、いわゆるオタク趣味を持たない人と比べてしまうと途端に後ろめたくなるが。
ただ私は自らそれを選び、足を運ぶ。やめられないし、何よりやめたくないと思える趣味である。


私は以前、エンターテイメント性の強いバンドを好きで日本全国津々浦々を渡り歩いた(今は解散している。)。ライブは非現実の時間だった。何よりも得がたい時間でそのためなら日本のどこへでも走ったし飛んだ。学生時代、20代前半の時間を奉げた。あの頃の私は今を超えるほど好きに全力で輝いていた、努力をして駆け抜けた。それは青春そのものだった。そのことを思い出して感慨深く思った。
そしてこの舞台が描いた主題とメッセージに気付いた。誰に何と言われても、後ろめたい気持ちなっても、私が全力で過ごしたあの日々は無駄ではなかったし幸せだったことを肯定してもらえた気がした。許してもらえた気がした。私の生き方は間違ってなかったと。そして今の私がいることを。
この舞台は、平成のエンターテイメントだと確信した。

2018年、平成最後の12月に、私が駆け抜けた平成の日々を総括するような、そんな舞台だった。素敵な思い出をありがとう。私が過ごした平成はいつだってキラキラにあふれていた。辛い時期だってもちろんあったけれど、悪いものじゃなかった。
それを実感できて、私は誰よりも幸せだと思い、劇場から零れ落ちた輝きを反射したイルミネーションに彩られた品川埠頭を後にする。